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人でなし
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はいー
それもこれも自身の過去、そして過去世がタブーになってるおかげですねー
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お金さん
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えー
その過去世の領域まで行っちゃうと、今まで自分が言ってきたものがまるで違ってしまう可能性も出てきますからねー
自分のやってきたものが否定されてしまうと思って、どうしても確かめるべき過去のところまで行けないんですね。
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人でなし
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で、そうなるのも、やっぱり命綱(繋がり)がないおかげっすね。
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お金さん
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はい
後ろを振り返っても「私は大丈夫!」というものがないですからねー
さきほど言いましたとおり歩みが切れてしまっているわけです。
すると「自分の向いている方向は違っているのでは?」と気がついたしても、それを隠していく歩み方なので
追求して改めることなく違ったまま進むことになるんですね。
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人でなし
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命綱のないまま、、、
繋がりのないまま、、、
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お金さん
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その状態で様々な分野が発展するとこの現状ができあがるのです。
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人でなし
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で、結局は「これは自分のもの!」ってなるのもやりきれないでいますよね。
「お金くれるなら、あなたも使っていいですよ」ってなっていますもんね。
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お金さん
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そうですね。
ここで「お金」という「繋がり」をお求めなわけですね。
「お金があれば自分の関わる分野も発展できる!」ともなっていますからね。
お金もからむ、ありとあらゆる「権利」という価値観、ルールは、
一見それを手に持つものを「守る」と思われていますが、
私からみるとそうは見えないんですね。
「権利を持って守る」と設定した時点でまず「守られていない」という現実を作っているので
「守る」ではなく「守ろうとしている」姿が見えるわけです。
だから「権利を持つことで守られる」には〜?マークなんです。
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人でなし
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「権利〜〜」のおかげで、
みんなにとっても良い情報や技術に制限がついてしまい、
それぞれのパワーが一カ所に集中しすぎたり、隠されたりだから
みんなのところにいつでも必要なだけ〜〜ができなくて
結果多くの方々が守られてないですからね、、、
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お金さん
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はい
ドームの中ではこの「権利」という角度をどれだけゆるめて、フリーにしていくのかもポイントですね。
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人でなし
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で、そのゆるめる方法は、、、、やっぱり
過去を掘り下げる作業、、、となるわけですね。
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お金さん
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はい、そうなんですね。
掘り下げてドームの外に近くなると、この「権利」という角度も?マークになるはずです。
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人でなし
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ですね〜
さっきの過去世とも連動してきますけど、
「これはわたしが作りました!」ってあったとしても、
その「わたし」はなぜここに?となってきますからね。
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お金さん
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はい
ドームの際のところですね。
ドームの中ではこの「際」の部分はかなり不確定な領域です。
なので同時に「権利」という解釈が無効な領域でもありますね。
そこから見るとですね〜
「これは私が作った!
でもそれが可能なのは、、、
それを形にできる体、精神、そして私を生んでくれた親、またその親を育ててくれた親、その親に関わった人たち、
出会ったたくさんの人たち、存在、まわりの環境、、、、今までのすべてがあってくれたからです」
となるので、「わたしが作った!だからわたしのものだ。他の人には触らせないよ」とはならないんですね。
だから創造したものを関わったすべてと共有する方が自然なんですね。
さらにそれは「作ったものを与える」ということではありません。
極端な言い方ですが「使っていただく」「使わせていただく」という角度になります。
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人でなし
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はい〜
心のままに形にしたいものを実現できているから、
それに関わったまわりの存在に対して自然と感謝がわき、
今までも今も支えてくれているすべてに対してごくごく当たり前に「謙虚」になるから、
「使わせてあげる」ではなくて「使っていただけたら、、、」ってなりますからねー
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謙虚さ?
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